向き合う順番
- 花の木
- 5 日前
- 読了時間: 2分

4歳の娘は、私が窓の外を見て
「あれ?いま、雨降ってる?」と尋ねると
「ちょっと感じてくる!!!」と言う。
そういって玄関をちょっとあけて、じーっと見たり、手を伸ばしてみたりする。
お〜。
ちょっと感じてくる!って、なんかいいね、
その言い方、いただきっ!と思って、
雨が降っていたら私も、ちょっと感じてみよう、と思うのだった。
ふと、近頃ぼんやり思うことを書いてみる。
私は、子育てにおいて、どんな風に子どもと向き合いたいのだろう、と。
最近意識しているのは、
「子どもたちそれぞれが、全身で世界を感じて楽しんでいるその体験を、邪魔しない」
ということ。
先回りして守りすぎたり、
自分の都合で子どもをコントロールしたり、
なるべく、したくない。
(もちろん、しちゃうことも多いし、というか
意識しなければ、しまくってしまうのだが)
そう意識するようになったのは、たぶん、
私が、私の感じること(感覚)や体験することを、まず一番大事に扱おう。と、心の底から決めたからだと思う。
私が、自分自身の内側とつながること。
何かをコントロールしそうになっていることに気づいたら、そのコントロールを手放すことを、意識して練習している。
私が、まず心を自分の内側へ向ける。
そして私は、私が体験するすべてのことを、
楽しみながら、ゆったりと、味わいたい。
と、強く思っているこの頃。
自分が自分の内側で起こっていることに気づきながら「ここにいる」ときに、ようやく初めて、
子どもたちに「向き合っている」と感じることができるんだ、と、学んだ。
自分のからだを丁寧に扱うこと。
自分の時間を丁寧に扱うこと。
自分を丁寧に扱うことは、相手を丁寧に扱うことに直結している。
向き合うべき順番は、いつだって、まず私自身。
矢印は外側でなく、まず自分の内側へ向ける。
その順番を忘れない。
自分の内側へ矢印を向け続けながら、
相手や、この世界と関わる。
何かを成したり、何者かになろうとするのではなく、
私が私(の内側)と一緒にいる、という在り方は、
なによりも優先されるべき大事なこと。
自分を一番大事にする。
それを一番大事に考えていい。
それはいわゆるジコチューとは違う。
自分がやりたい放題やる、ということではなく、
自分が自分の中心にいる、ということ。
そのままの自分でいること。
そういう在り方に、自分で、OKを出して生きる。
自分がそう生きることで、
子どもたちに何か伝わるものがあるかもしれない。
子育てって、結局、「自分育て」なんだなぁ。
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