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向き合う順番



4歳の娘は、私が窓の外を見て

「あれ?いま、雨降ってる?」と尋ねると

「ちょっと感じてくる!!!」と言う。

そういって玄関をちょっとあけて、じーっと見たり、手を伸ばしてみたりする。


お〜。

ちょっと感じてくる!って、なんかいいね、

その言い方、いただきっ!と思って、

雨が降っていたら私も、ちょっと感じてみよう、と思うのだった。



ふと、近頃ぼんやり思うことを書いてみる。



私は、子育てにおいて、どんな風に子どもと向き合いたいのだろう、と。



最近意識しているのは、


「子どもたちそれぞれが、全身で世界を感じて楽しんでいるその体験を、邪魔しない」


ということ。



先回りして守りすぎたり、

自分の都合で子どもをコントロールしたり、

なるべく、したくない。

(もちろん、しちゃうことも多いし、というか

意識しなければ、しまくってしまうのだが)




そう意識するようになったのは、たぶん、

私が、私の感じること(感覚)や体験することを、まず一番大事に扱おう。と、心の底から決めたからだと思う。




私が、自分自身の内側とつながること。

何かをコントロールしそうになっていることに気づいたら、そのコントロールを手放すことを、意識して練習している。




私が、まず心を自分の内側へ向ける。

そして私は、私が体験するすべてのことを、

楽しみながら、ゆったりと、味わいたい。



と、強く思っているこの頃。




自分が自分の内側で起こっていることに気づきながら「ここにいる」ときに、ようやく初めて、

子どもたちに「向き合っている」と感じることができるんだ、と、学んだ。



自分のからだを丁寧に扱うこと。

自分の時間を丁寧に扱うこと。



自分を丁寧に扱うことは、相手を丁寧に扱うことに直結している。



向き合うべき順番は、いつだって、まず私自身。

矢印は外側でなく、まず自分の内側へ向ける。



その順番を忘れない。



自分の内側へ矢印を向け続けながら、

相手や、この世界と関わる。



何かを成したり、何者かになろうとするのではなく、


私が私(の内側)と一緒にいる、という在り方は、

なによりも優先されるべき大事なこと。



自分を一番大事にする。



それを一番大事に考えていい。

それはいわゆるジコチューとは違う。


自分がやりたい放題やる、ということではなく、

自分が自分の中心にいる、ということ。


そのままの自分でいること。


そういう在り方に、自分で、OKを出して生きる。



自分がそう生きることで、

子どもたちに何か伝わるものがあるかもしれない。



子育てって、結局、「自分育て」なんだなぁ。








 
 
 

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