はじめての出産を経験してから、
気づけば11ヶ月がたとうとしています。
寝転んでひたすら天井を見つめていた娘が、ある日寝返り、ずり這いし、つかまり立ちしたと思ったらつたい歩きを始め…
日々、本能に従って、興味の赴くままに動いているうちに、少しずつ身のこなしを獲得していく様子を見て、私自身もこんな風に時間をかけて、ひとつひとつ出来ることが増えてきたんだなぁと、思いを巡らせる日々です。
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」の中で、ナウシカの谷の爺さまが、病で硬くなっていく、しわしわの豆だらけの自分の手を見せながら、「姫さま(ナウシカ)はこの手を好きだと言うてくれる。働き者のいい手だと言うてくれましたわい。」と言うシーンがあって、
私は昔からこのシーンが大好きでした。
私も、そう思うからです。
「おばあちゃん」という存在に、
昔から憧れていました。
小学生の時、学校帰りに祖母の家に寄って行くと、よもぎの季節には草もちを作っていて、それがすごく美味しくて。
高校生の時、花豆を煮るのが上手な友達のおばあちゃんがいて、遊びにいくと必ず出してきてくれました。いくらでも食べられるほど、本当に美味しくて。
そしてたぶん、長い年月を重ねてきた人特有の、安心感とおおらかさに触れると、自分までゆったりとした気持ちになれて、居心地がよく、癒されるのだと思います。
私も、草餅や花豆を上手にこしらえる、どーんとゆったり構えたばあちゃんになりたいなぁと、今でも思っています。
最新のシステムがどんどん開発され、
例えば最近は、払込書のバーコードをスマホアプリで読み取れば、その場で支払いができるようになりました。わざわざ出かけなくてもいい。すごく便利です。ありがたいなぁと思います。
例えばわからない言葉があっても、辞書を引くことなんてほとんどなくなり、基本はスマホで検索している自分がいます。スマホって本当に万能です。
でも、「わざわざ出かけたから気づけたこと」もあったかもしれません。「わざわざ引いたから、ついでに隣の言葉も覚えちゃった」こともあったと思います。
何が言いたいかというと、時間をかけることでしか味わえないものもある、ということを、忘れないようにしたいのです。
時間をかけて丁寧に育てられた野菜や果物が、身体に力をくれること、
時間をかけて発酵した味噌の、深みのあるおいしさ、
時間をかけて淹れたコーヒーのおいしさ、
時間をかけて増えていく手のシワや、顔のシミ。
手に入れたり、失ったりしながら、
日々、「こうしたい、こうなりたい」という欲求に真っ直ぐに、寄り道しながら身体を動かし続けて時間を積み重ねていけたら、
いつか私も
ナウシカの谷の爺さまたちの手のような、
どーんとゆったり構えたおばあちゃんのような、
強くて深くてやさしい何かを
身につけられているでしょうか。
まずは娘をみらなって、
ひとつひとつ、時間をかけて、
目の前のことから!
(目の前では娘がよく寝ているので、書くことができました!娘よ、ありがとう!あ、洗濯物干すの忘れてた!すっかりご無沙汰のブログ更新……きゃ〜。汗)
目の前で、時間は慌ただしく過ぎていきますが、、、
理想は大きく!
おばあちゃんへの道のりは続きます。
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